ぽえという人のブログ

引退試合

5月6日を持って生駒ちゃんが卒業しました。乃木坂の功労者であり、誰からも愛された生駒ちゃんの卒業に多くの人が感謝の気持ちを持ったり、改めて尊敬の念を抱いたことと思います。勿論卒業を悲しむ人も多かったでしょう。

私は芸能人やスポーツ選手の卒業、引退のニュースを聞くたびに思い出すプロ野球選手がいます。その選手の引退試合が、自分の中で一番と言っていいほど悲しかった瞬間だったんです。今回はその事について書こうと思います。



その選手とは、現在中日ドラゴンズで投手コーチをしている朝倉健太です。現役時代から中日一筋、生え抜きの人気選手でした。彼は中日の黄金時代と言える落合政権下で活躍したのですが、肘の故障や血行障害で徐々に登板できなくなり、投げても結果を残せませんでした。一時復活の兆しを見せたのですが、結局は2015年に引退しました。

実はこの2015年というのは、中日において山本昌弘、谷繁元信和田一浩小笠原道大といった球史に残る偉大な選手が引退した年でもありました。勿論、彼らには盛大な引退試合が行われて、惜しまれながら引退していきました。しかし、一番自分の記憶に残っているのは朝倉の引退試合なのです。


朝倉は自分が野球を見始めた当時はまだ若手と言える年齢で、現ソフトバンクホークス中田賢一とともに、当時のエース川上憲伸の次のエースとして将来を渇望されていました。自分が見始めた時の主力で、大活躍していた時も怪我で打ち込まれていた時も見ていた自分にとって、殿堂入りするような選手とはまた違った思い入れのある選手でした。


その朝倉の引退試合、打者1人を相手にする予定でした。

マウンドに上がった時に、朝倉はすでに泣いていました。泣きながら投げて、バッターを打ち取って降板しました。


泣きながら投げている朝倉を見て、自分も泣いていました。実績では同じ年に引退した大スターたちには遠く及ばないし、ニュースなどでの取り上げ方も比べ物にはなりません。しかし、朝倉の悔しさであったり、悲しさであったり、あるいは嬉しかったことを思い出していたのか、家族のことを思い出していたのか、様々な感情が詰まっていたであろう涙を見て、自分はその年引退したどの選手よりも朝倉の引退が悲しくなりました。


先に書いた通り、同じ年に引退した選手に比べると朝倉は地味な選手だと思います。しかし、自分の個人的な思い入れや彼の苦労、そして最後の涙に自分は心を打たれたのです。


生駒ちゃんのように、そのグループの中心として活躍し続け、辞める時もスポットライトが当たり、大きなものを残して盛大に送り出される人もいます。しかし、そうでない、他の陰に隠れて、また悔しさも残っていたであろう引退が自分には一番心に残っています